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むらさきに誓う

2月28日に大好きな祖母が他界した。
家族親戚一同が集まる正月やお盆には、いつもウキウキして沢山のお雑煮やおはぎを作っていた祖母は、誰にもみとられず、一人で逝ってしまった。

おじいちゃんおばあちゃん子だと自分で言ってしまうのは、なんだか抵抗があるけれど、親戚や母にも口にしたことがなかったけれど、
本当におじいちゃんとおばあちゃんが大好きだった。

お正月、病院での祖母はまだ元気で、
「孫です。私の孫です」と、自慢げに私を病院の患者さんや看護士さんたちに紹介していた。
何度も危ないと言われたおじいちゃんの時は、心の準備というかが出来ていたけれど、おばあちゃんの時は突然だったせいか、そのショックが大きく、東京に帰って来てからはしばらく落ち込んでいて、思い出すたびに泣けてきた。

そんなさなかに、地震が起きた。
その日、私は幸いにも試写に行く予定を、急遽風邪で体調が悪かったためにとりやめて、ワンコと近所の花屋まで散歩をしていた。
誰かと一緒にいてもあんなに怖いのに、ワンコにひとりぼっちで怖い思いをさせずに済んだ。

勿論、地上より上に行けばいくほど揺れたと思う。
けれど、乗り物に乗っていればもれなく揺れると考えている私は、感覚的に、
建物の中で揺れることには怖いけれど納得がいっている節があって、
一番安定しているはずの地上が、普通に立っていられないほど揺れる、ということが信じられなくて
外で体験したあの地震は、それはもう、室内にいるのと桁違いの恐怖だった。
しなる電柱、揺れる地面。
震度5強であの恐怖なのだから、東北の人たちの恐怖は計り知れない。

おばあちゃんが亡くなる数日前までは一人部屋だったし、
入院する前は、昼間は母が訪れるけど、おばあちゃんはおじいちゃんと長年過ごしたその家で、一人で寝起きしていた。

おばあちゃんは10歳くらいの少女のころ、群馬の生家で一人で関東大震災を経験していた。
ものすごい揺れに驚いて家から飛び出したと言っていた。
おばあちゃんが死んでからずっと、もっと生きていてほしかったと私は願っていたけれど、今回の地震が起きて思ったのは、
おばあちゃんがまた一人で大きな地震で怖い思いをすることがなくてよかった、ということだった。
たったひとりであの地震の中、怖い思いをして過ごすことがなくてよかった、と
ただただ思った。
それがせめてもの慰めになった。

今回の地震でおばあちゃんのことで落ち込んでいるどころではなくなったが、
被災地でもおばあちゃんと同じ様なご高齢の方たちの避難が後回しになり、
移動する途中で体調を崩されたりしているのを見るたびにぎゅぅと胸が痛む。
移動する体力が、おじいさんおばあさんたちには無いのだけれど、移動しなくてはならない。
そんな体調で故郷を離れ数時間の道のりを移動するのは
どれほど辛いことだろう。
亡くなった人も、助かった人も、過酷で、辛い。
けれど、世界中の祈りの声が、時折聞こえては、心を救う。

もうあの地震から10日が過ぎた今も、余震が続いている。
原発は依然、緊張状態だ。
被災地の人は地震や原発の問題が解決することが終わりなのではなく、
解決した瞬間から始まるのだ。問題はこれからなのだ。

色々な無力が絶え間なく私を襲う。
けれど今やれることをやれる範疇でやるしかないのだ、と思い知らされる10日だった。

私は書かなければならない。出来ることは他にないのだから。


今回の地震で被害に遭われた方々、その大切な方々に、
心よりお見舞い申し上げます。

Author: しゅが 
普通の日々 |
 
 

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